防災の日。

9月1日、火曜日、雨。 東京慰霊堂で関東大震災の慰霊祭が行われ、訪れた方々へ、恒例の無料の呈茶席が開かれました。 東京第一西青年部が主幹です。 春名部長のポートレイト。 image 東京第一の東西の青年部は、毎年、3月10日は東京大空襲の慰霊に、また9月1日は関東大震災の慰霊に、それぞれ欠かさずに両国の慰霊堂前に呈茶席を設け、ご奉仕しています。 雨で濡れて光る、深い玉砂利を踏み分けテントを訪ねると、色無地を爽やかに着こなした、第一西青年部長の春名さん(右)と、第一東青年部長の加藤さん(左)が、笑顔で出迎えてくれました! image image 地域社会に奉仕し、茶の心を実践することは、青年部の主たる役割です。 始めるのも止めるのも一瞬ですが、続けることの長さ、ご苦労はいかばかり? この行事を、先輩から後輩へ、当たり前のように40年、受け継ぎ伝え続けている青年部に敬意を表し、毎度関東第一ブロックからの水屋見舞いをお届けに上がります。 ほっとする一碗。しみじみ嬉しいです。 image 今回は、私と、副ブロック長の梅谷智子事務局長と二人で(毎日会ってるかも)訪ねました。 image 持ちよりの茶碗。菊花の可愛い茶碗でした。 第一東西の親幹事の先生方もいらしていて、このご奉仕を縦糸に、支部の世代間の絆が受け継がれているのですね。 前回に続くあいにくの雨ですが、足元が悪い中をおして、震災忌にこの地を訪れた方々、とくに多い高齢者の方々 に、温かい一碗が安らぎになっています。 慰霊に見えた方への敬意と、一碗への感謝が、笑顔で交わされている一壺天(テント)です。 水屋見舞いだから、水屋も拝見♪ わぁ、知った顔、いっぱい。 image image image image 宮家もお出ましになる慰霊堂での法要。 大切に大切に継承されていますが、年々、焼香に見える方が減ってきているようです。 忘れてはいけないことは、悲劇や惨事そのものだけでなく、それを伝えてくださる先人への感謝と共感を持つことで、忘れないでいられるのかも知れません。 奉仕呈茶を始めた当初は、テント設営や椅子の運搬も、青年部員が自らが行っていたそうです。 着物姿の女性陣が椅子を運ぶ姿を見て、道行く自家用車が 「運びますよ、お乗りになりませんか?」 と好意で声をかけてくれ、助けていただいたこともあるのだとか… 先日の地区委員会で、当時青年部員だった幹事長先生に聞き、東京も心通う街なんだなと、胸に沁みるものがありました。 呈茶席の歌花筒にかかった短冊は「夢」。 雨の多い慰霊堂呈茶に備え、短冊にはカバーリングしてあるのも防災の見所かも知れません。 霧雨に耐えながら、一日花の露草、紫露草と、水引の花とに寄り添っていました。 image 青年部の男子らも会社を休み、スーツ姿で雨の中に立ち、案内役をかって出ている姿は凛々しく、第一東西青年部の活発で和気藹々の様子も伺えました。みんな楽しそうにキラキラ笑顔でご奉仕していました。(*´-`) 座配役には部長経験者のベテラン青年部員が、また水屋を覗くと、たくさんの若手会員の笑顔ときびきび働く姿の奥に、ブロック副幹事長の大山さんが。 なんとその隣には、他支部でかつ卒業したはずの金田元副ブロック長が、相変わらず、時が留まったように、いつもの明るさを燦々と放ちながら洗い物をしているではないですか…! image 清らかで美しい景色を見た思いです。 (*´-`) 金田さんは、青年部スピリッツを人一倍持つ人です。 ブロック執行部役員を何期もご一緒し、たくさんの茶会や行事をこなす馬力と優しさを見てきました。 いつも力仕事や灰型を自ら受け取り、座配置やタイムキーパーなど、あるときは憎まれ役もかって出る、親分肌の先輩です。 一方、茶花の優しさや、自由さ、斬新さには、いつもいつも学びました。 プライベートで見せるフェミニンなドレスやアクセサリーは意外性と納得をあわせ持ち、いつも自己の表現があって、主人公してるな…と感じています。 お仕事は永年通信社で忙しく働き、強いジャーナリスト精神の証のように、春、秋のこの慰霊堂呈茶を、自主的に静かに手伝い続けていること、尊敬します…。 こうした茶の心や、他では得難い茶友に出逢える場として、いつも青年部の存在に感謝します。 image 慰霊堂内でお焼香の列に就き、白く煙った菊花の祭壇に、数珠の手を合わせました。 この数珠は、東北の震災慰霊に訪れた各地でも一緒に祈った数珠。 青年部長をした年に、京都の会議の帰りに買い求めて以来、御祖堂をはじめ、祈りの時を共にしてきました。 いろんな場面を思い出す一品。 image 慰霊堂内の壁は、 右には大震災の場面の絵が、 左には大空襲の場合の写真が、 堂内を巡るように掛けられています。 image これが、私たちの街、ふるさと、東京に起きた事実なのかと疑いたくなります。 この惨事が起きた街に住んでいて、また起きるかも知れない場所に居るのだと思うと、解っていた筈でも、足元が揺らぐような底知れぬ不安を感じます。 image まだ人の切れぬ雨の慰霊堂を後にして、近くで梅谷さんとランチを。 そこに、稽古場の母から電話がかかり、とにかくひどく具合が悪くて、稽古を休みにしたいのだと…。 熱が出ても、腰が痛くても、稽古を休むのが嫌いな母からの言葉に、なんとも珍しいことと驚き、こちらが動揺してしましたが、それこそ、いま震災を想い、平常心とゆとりの心を誓ったばかり…。 とにかく向かうから待っててと伝え、夫も駆けつけ、二人で稽古場の留守番をすることに。 稽古の内容の引き継ぎを受けてから、病院へ送りました。 処暑からこちら涼しくなり、猛暑はすっかり去りましたが、やや蒸し返したため高齢者中心に自覚症状のないまま、熱中症による脱水症状が多発しているようです。 「水ではなく、塩分を! 味噌汁を薄めて、ゆっくりゆっくりすすってから来なさい」 と医師にアドバイスを受けたとか。 病院で点滴を二本を受け、三時間後、帰りは自分で帰ってきたので安堵しました…。 激しい雨も上がりました。 先ずはきちんと食事して、夜からいらしたお弟子さんの練った濃茶をいただいたら、今度は元気になりすぎてしまい、明日も稽古をする気まんまん? 心頭滅却の境地なのか、人間、修行を積んだ高齢者の方は、辛さを感じにくいらしく、お医者様曰く、そのことがとっても危険なのだそうです…(-_-;) お茶は、古いことを貴ぶ文化。 そろそろ自分の体も、少しばかりは時代がついてきましたから、ましてや親や師匠の身体は、大事に、大事に、丁寧に接するようにしなければなりませんね。 両手扱い、ゆっくり、手をついて…(*´-`)、何より、平常心で向き合わねばと自戒。 今日は、東京を着物で東へ南へあちこちして、雨と湿度で身体は疲れましたが、いろいろ考えることの多い、自分とも向き合う一日になりました。 帰宅すると、ポストに黄色い小箱が届いていました。 なんでしょう…? image 「東京防災」 と書かれた、黄色いハンドブックでした。 桝添都知事からのメッセージ入りで、災害対策には全力を尽くしているが、さらに東京の防災力を都民一人一人の力で上げていこう、と書かれていました。 今日、9月1日は、防災の日。 関東大震災を忘れぬ為の、警鐘の日。 災害ハンドブックの巻末に「TOKYO X DAY」というタイトルの漫画があり、「その日」自分はどうするべきかを問いかける内容でした。 「いつかはくるその日、誰もが、いやおうなく考えること。 自分にとって、何が大切なのか。 大切な人は誰なのか…。」 と締め括られた本。 早速、読まれた方も多いと思います。 願わくば「その日」にではなく、今日も、いまも、大切な人を考えて生きなければなりませんね…。 慰霊堂の一碗が、また稽古場の一碗が、心に問うべきことを気付かせてくれました。感謝です。(*´-`) 皆様も、お身体と「いま」を大切に、ご自愛の上お過ごしくださいませ。 改めまして、東京第一東西青年部の皆様、美味しいお茶を有り難うございます。 お疲れ様でした。どうかご自愛ください。 image

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